2017年 01月 02日
余命3か月 |
余命3か月、と胆のうがんを患っている家内が宣告を受けた。
がんの摘出手術を受け、大部分をとったが周りに転移しているものまでは取り切れなかった。
詳しい事を知らされていない家内は、食事もおいしいといって食べ、間におやつもつまみ、口ごもりながらもいろいろと世間話も出来ている・・・その命が、あと3か月とは!!
元気だったころの様子が、事あるごとに次々と浮かび、哀憫の心情 絶ちがたく、ひそかに嗚咽をこらえる。
今は、ほしい物は欲しいだけ与え、寒いといえば温めて、心いっぱいの介護をし、悔いの無いように最期を看取ってやりたいと思っている。
87歳の高齢である。「後期」のつく高齢である。これを世間では「歳に不足はない」と言うが、身内にとっては其れは余りにも非情な「言葉のいいよう」である。
こうしているまも時は無情に過ぎ、命の灯は風に揺れてまさに消えようとしている。太古の昔より人は皆この悲しみに耐えてきたことを 今 私は想う。
がんの摘出手術を受け、大部分をとったが周りに転移しているものまでは取り切れなかった。
詳しい事を知らされていない家内は、食事もおいしいといって食べ、間におやつもつまみ、口ごもりながらもいろいろと世間話も出来ている・・・その命が、あと3か月とは!!
元気だったころの様子が、事あるごとに次々と浮かび、哀憫の心情 絶ちがたく、ひそかに嗚咽をこらえる。
今は、ほしい物は欲しいだけ与え、寒いといえば温めて、心いっぱいの介護をし、悔いの無いように最期を看取ってやりたいと思っている。
87歳の高齢である。「後期」のつく高齢である。これを世間では「歳に不足はない」と言うが、身内にとっては其れは余りにも非情な「言葉のいいよう」である。
こうしているまも時は無情に過ぎ、命の灯は風に揺れてまさに消えようとしている。太古の昔より人は皆この悲しみに耐えてきたことを 今 私は想う。
by kimura3113
| 2017-01-02 01:59