2016年 07月 28日
似非藝術 |
「小字数の書には世界性があるのです。字は読めなくても、書に込められた感情、感覚は伝わる。外国の人達の心を揺り動かす事が出来ます。」これは、外務大臣賞を受けた手島泰六さんの言葉である。 「字は読めなくても」とおっしゃる。だとすればそれはいったいなんだ。読めないで一体如何なる感情や感覚が引き起こされるというのだろう。 「外国の人達の心を揺り動かす事が出来ます」と言う。成程それで外務大臣の登場となるわけだ。
外国人の書道愛好家を私は知っているが、彼らの書に対する認識は極めて浅い。何らかのシンボルのように理解しているに止まる。 一方日本の一部の愛好家の興味を引くことは出来ても、決して多くの人々の心を動かす共感は得られないだろう。それらは、書から派生した独善的なお遊びに過ぎないからだ。 「この書は斯く斯く云々の文字の崩しで、筆者のこういう気分を表現したいという意図をもって書いたものだ。」など我田引水の解説を聞かされるのにはうんざりする。 烏滸がましく書道藝術と詐称するのは止めてもらいた。文字のお遊びならば同好会の内々で何をやっても許される。どうぞご自由に、好き勝手におやりください。
外務大臣が賞を出すなら、賞を出しやすい派閥や一部の人達からの人気に惑わされることなく、こつこつと地道に努力して業績を上げている人を発掘して表彰して欲しい。
外国人の書道愛好家を私は知っているが、彼らの書に対する認識は極めて浅い。何らかのシンボルのように理解しているに止まる。
外務大臣が賞を出すなら、賞を出しやすい派閥や一部の人達からの人気に惑わされることなく、こつこつと地道に努力して業績を上げている人を発掘して表彰して欲しい。
by kimura3113
| 2016-07-28 12:54